学校教育の意義と学び

学校教育の意義と学び

勉強法を紹介しようと思い、始めてみた“めぇブログ”ですが、早くも私の個人的な感想になりつつあります。(*´Д`)(汗)

さて、本日のテーマについてですが、この2020年6月初旬現在、少しずつ学校が再開される動きがありますが、

「第二波が来たらどうしよう」

「今までの勉強の遅れをどう取り戻そう」

「また休校になったらどうしよう」

「9月入学、という案も出てるけど⁉」

そんな不安が小中高生の間に広がっているように思います。小中高生、というよりは小中高生の子どもを持つ保護者の間で広がる危機感、と言うこともできるかもしれません。

そうした不安について私の経験から感じることを今回はお話できたらと思います。

学校生活

経験、、、の前に自己紹介(^^♪

私はいわゆる「帰国子女」(最近ではあまり定着していないものの帰国生という言い方もしますね)なのです。そのため、ほぼ小学校まるまると中学の途中くらいまではいわゆる日本の義務教育を受けていません。仕事の面では家庭教師や学校現場、学習塾など教育に関連した仕事を現在でも続けています。

と、簡単な自己紹介が終わったところで。昨今の状況を鑑みた時に不安を感じる保護者の方が多いと思います。

コロナ渦中、今感じること。

結論。

「勉強は独学でも何とかなるので病的に恐れなくても良い」と思う面と

「独学での難しさ・やっぱり対面で学校で教えられた内容の定着率は違う」

という2つの面です。学生の間、私はこの2面性とも言うべきものを突き付けられ続けたように思うのです。

最近ではそんな自分のことについてあまり考えたり悩まなくなってきていたのですが、最近のコロナ関連ニュースでふと思い出しました。

アメリカでの小学校、そして中学校生活

私はアメリカに滞在していたのですが、

月曜日から金曜日まではパブリックスクール、つまりごく一般的な市立小学校、土曜日は補習校と呼ばれる日本の小学生が1週間で学習する内容を土曜日1日でぎゅっと詰め込んで学ぶ、という生活を送っていました。

しかし、補習校から毎週出される膨大な宿題、1日で進むスピードに次第についていけなくなり、さらには英語も小1の時点でほぼゼロに近かったため、普通に学校の宿題に追われてしまい、記憶は定かではありませんが小3か4くらいの時に補習校はやめ、習い事に近い形で日本語の塾に通っていました。日本に帰国する2年位前にはあまりにも日本語がボロボロな私に危機感を持った親の意向もあり、全日制の日本人学校に通っていました。

日本の補習校、日本語塾、全日制の日本人学校に通う中で...

そんなこんなで日本語に接する機会はコンスタントにあったわけですが、アメリカでの生活の間では日本語が必要なわけではないので、必要に迫られることもなくやらされている感&作業感が強かったのかもしれません。よく英会話スクールに〇年通っていたけど、全然しゃべれるようにならなかったわ、という話を聞きますが、まさしくそのパターンです。全日制の日本語学校に転入し、まず小学校2年生からの漢字ドリルを渡され、4年分くらいを詰め込んでやり直しました。補習校や独学などでやっていたつもりでしたが全然身についていないことに気づきました。

この時気づいたことは周りの大人たちがいかに焦って学ばせようとしたところで本人が意欲的に学んでなかったら、やらされてる感&作業感、もうやっつけ仕事!みたいな感じになっていたら時間をかけたとしても定着していない、極論でいうと学んでいないことと一緒になってしまう、ということです。なので本人が目的意識を持って意欲的に学ぶ姿勢がそこまでない間は無理やり勉強しなくても、そこまでピリピリする必要はないのかな、ということです。後から本気で勉強すれば取り戻すことは決して不可能ではないのです。

でも後から詰め込んで間に合わなかったら?と思うかもしれません。間に合わなければそもそもの目標設定が非現実的、もしくは本人のキャパの問題、能力の限界、なのだと思います。努力と結果は必ずしも比例しない、全てにおいて完璧を期待することはできないからです。

がしかし。子どもが効率よく、分かりやすく学ぶためにサポートは絶対に必要。

興味深いというか当時はびっくりした経験なのですが、、、

時は経ち、私が大学生の頃のお話です。

1か月間教育自習に行った時のことです。それまではレポート等提出物はパソコンで作成していたものを提出していたので気にも留めていなったのですが、教育実習期間中の毎日提出しなければならなかった日誌は手書きだったのです。先生に指摘されるまで気づかなかったのですが、私の日誌は帰国後に学習した漢字はすべて漢字表記で、逆に小学生で習っているはずの漢字はかなりの部分、ひらがな表記の状態で提出されていたそうです。しかも漢字で書かれていた部分も独学に近いものがあるせいか「とめ」「はらい」などがところどころ違っていたそうです。なんと...(*´Д`)

学校教育の大切さを実感した瞬間でした。小学生の内容が少し抜けていても、読書量である程度知識はカバーすることもできますし、現在読み書きに不自由する場面はほぼ皆無です。むしろ、興味のある分野については自分で調べる習慣が身についているので特定の分野に関してはかなり詳しくなるという利点もあります。それでも学校で学んだことはやはり定着度が全然違います。特に対面で、対人で学ぶこと、そこにコミュニケーションというものが存在することは人として成長するうえでも欠かすことができないものだと実感します。じゃなければ学校なんていりませんものね (笑)

ですので、私は独学至上主義にも学校至上主義にもなるつもりはありませんが、学校の勉強が遅れるのではないかと思って過度に不安になることはない、少しでもそうした人たちの不安な気持ちを取り除けたらと思うのです。勉強の価値を軽視するつもりはありませんが、勉強、勉強で親子関係がピリピリしたり、子どもの精神的な健康が脅かされるよりは興味のあることに少しずつ取り組みながら、やる気がないのであれば、今は立ち止まって休憩する時かもしれないと割り切りながら穏やかに生活してほしいのです。