子どもや部下に「自分の若い頃は○○だった」と言わない方がいい理由。

子どもや部下に「自分の若い頃は○○だった」と言わない方がいい理由。

一言でいうと“ゼネレーション・ギャップ”ということになるのかもしれません。

子どもに対して

「私があなたくらいの時は○○だった」

部下に対して

「私が若い頃は○○だった」

つい、そんな言葉を口にしていませんか。無意識のうちに口に出してしまい、自分の年齢と老いを痛感させられることもあるかと思います (;^_^A

ただ、今回テーマにしたいのは、この「自分の若い頃は〇〇だった」と言うことの“影響力”です。

若い時のおっと~(高校生)

個人的な意見ですが、私はこの言葉には、プラスの面・プラスの影響力はほとんどないと思っています。なぜなのかを考えたいと思います。

「若いのに○○ね」「若いから分からないだろうけど○○」

今でもたまに言われることがありますが、最近では言われることも大分少なくなってきました。それだけ私も年を取った、ということでしょうね。(苦笑)

それでも、10代や20代前半くらいまではよく周りの大人たちから言われていた言葉です。そして言われるたびに、何とも言えない嫌な気持ちになったのを覚えています。

特に前者の言葉、「若いのに○○ね」は発言者の意図としては褒め言葉として使われている場合が多いはずですが、嫌な気持ちになりました。10代の頃はなぜ嫌な気持ちになるのか分かりませんでしたが、

理由として挙げられるのは、

1 発言者が相手の経験や価値観を否定している。(つまり自分の価値観や固定概念を押し付けている)

2 年齢と経験は必ずしも比例しない。

ということだと、今になってみて感じます。

相手のステレオタイプ、というか固定概念で、若いとこれぐらいしか知らないだろう、これぐらいの経験しかないだろう、という思い込みで話をしているようにしか感じないからです。

年長者としての人生経験の違い、人生の厚みの違い、これは埋めることのできない、紛れもない事実かもしれません。実際、まだ若手と言われる年齢の私でさえ、過去を振り返って、「あの頃は若かったな」なんて思うこともあります。

それでも、このワードは、発言した本人にそのつもりはなかったとしても、受け取り手は、まるで自分のこれまで積み重ねてきたものや、努力、苦労、その他諸々のものを否定されたような、そんな気持ちになるのです。年齢に関しては自分の努力どうこうで逆転できるものではないので、年齢を一つの権威として振りかざされてしまうと、何となくずるい、とさえ感じてしまいます。

さらには「若いから分からないだろうけど○○」なんて言葉は正直なところ、「分からないと思うんだったら、言わなきゃいいのに」と思ってしまう部分もあります。何か教えたいのであれば、わざわざつける必要のない枕詞です。

これでは、相手を褒めようとしても、あるいは教えようとしても、期待している効果は得られないことになります。

その理由はシンプルに言われてもうれしくないからです。その後にどんなに素晴らしい、教訓的な話題が続いたとしても、心のシャッタ―は、ぴっちりと閉じたままです。

特に保護者が子どもに言う場合

子どもに言う場合は特に気をつけるべきだと感じます。

言わない方が良い理由としては、

1 単純に時代が違うので、単純な比較ができないこと。(例えば、SNSの普及は生活を便利なものにする反面、より複雑に、子どもにとっては大人の想像以上にストレスの要因になっていること 等)

2 一般的に他人と比べられて嬉しい人はいない。

ということに要約されると思います。教える側は心のどこかで自分をおじさん・おばさんになったな、と意識してはいても、自分をまだまだ若いと思ってしまうところがあります。(自分に対する戒めの意味で書いている部分もありますが (;^_^A) でも、確実に年は取っていますし、若い頃と感覚や心境も変わっていきますし、変わっていくのが自然なことです。

子どもが複数いる場合、子どもにできるだけ平等に愛情を注ごうと心がけておられる方は多いと思います。そして、兄弟間を比べるような発言をしないことも。

「お兄ちゃんはいいところに就職したのにあなたは…」

「下の子は勉強もできて成績もいいのにあなたは…」

こんなことを言われて気持ちの良い子はいません。子どもたち同士を比べないようにすべきであれば、なぜ自分の若い頃と子どもを比べてしまうのでしょうか。

劣等感だけでなく、状況によっては優越感や、変なプライドさえ育ってしまうかもしれません。そして、嫌なトラウマ的な記憶として残ることも…

自分の経験から教える別の方法

とはいえ、自分の経験が後の世代にとって貴重なものになり得ることは事実です。それでも、何も年齢を武器として、言わばわざとらしく振りかざさなくても教える方法はあると思います。

まずは、自分が語るよりも相手に語らせることです。話しながら、気持ちを整理する助けになれるかもしれないですし、年下のものを軽く見ているのではなく、相手の尊厳を重んじていることを態度で示すことになるからです。

また自らが若者にとっての良い手本となることです。自分の現状に慢心せず、自らも学び、成長しようとしている姿そのものは若者にとっての良い手本になります。何かを語る時にも語る事柄に説得力を加えるものとなります。

こうして考えると、「自分の若い頃は○○だった」と言う人の心境というのは、自分自身や周りの今の環境に不満を抱いている人も多いのではないかと感じます。自分の「武勇伝的エピソード」を自分に言い聞かせながら過去に生きているというか…

そんな大人を魅力的だと思う若者は少ないことでしょう。そう思うと自分自身が魅力的であり続けることって大事だなと思います。

そして、自分の経験を言葉で話すことは何も悪ではないとも思います。それでも、自分の自尊心を保つために「武勇伝的」に語るのではなく、聞かれた時に少し語るくらいでいい、と思います。聞かれてもいないのにあれこれ熱を込めて語ったところで相手の心はそれを受け入れるものは持ち合わせていないからです。

自分自身が今を不満に思ったり、自尊心が保てなかったり、楽しそうではなかったり、状況を改善しようとする努力を何も行わないとしたら、それは若者だろうと伝わります。自分自身が魅力的であれば、自然と若者は寄ってくるのではないでしょうか。