気が利く人と気が利かない人

気が利く人と気が利かない人

お店などに行って、

「この人気が利かないなぁ」

「もうちょっとこうすればいいのに」と思ったり、

仕事をしていて、

「何でこの人は頼まれたことしかできないのだろう」

「一緒にこの仕事もすれば、効率が良いのに」

と感じたりすることは、誰しもあると思います。

( めぇ~ブログ 「仕事ができる人とできない人の違い」 も参照 (´▽`*) )
仕事ができる人とできない人の違い

そして、こうしたことを感じさせる相手は、自分よりも年下である場合が多いように思います。

気が利くおっと~

確かに、自分よりもうんと年上でも気が利かない人、という人がいるのは事実ですが。(*´ω`)

別にクレーマーになりたいわけでも、不満をぶつけようというつもりもありません。

なぜなら、「気が利かない人」は、本人にその自覚がない場合が多く、わざとそうしているわけではないことが、ほとんどではないかと思うからです。

それで今回は、「気が利かない人」が「なぜ気が利かないのか」、昨今の状況と関連付けながらその理由を探っていこうと思います。(^^♪

あくまでも個人的な見解であり、全てのケースに当てはまる、とは私自身考えていません。一つの可能性として、見ていただけたら幸いです。

「考える」機会の少ない若者たち

まず、「若者」と書きましたが、「若者」をひとくくりにするつもりはありません。気が利く、利かないは本当にその人による、という場合が多いですが、昨今の状況が、さらに拍車をかける要因になっているように感じるのです。

( めぇ~ブログ 「子どもや部下に『自分の若い頃は○○だった』と言わない方がいい理由」 「忙しすぎるこどもたち―習い事について」も参照してもらえたら嬉しいです (´▽`*) )

子どもや部下に「自分の若い頃は○○だった」と言わない方がいい理由。

忙しすぎる子どもたち―習い事について

少し年齢層は下がるかもしれませんが、最近の子どもたちの生活環境について考えてみました。そしてこうした環境は今の若者たちが育った環境とも通じるところがあるのではないだろうかと思うのです。

そしてこの、生活環境というのが「考える機会が少ない」ということなのです。ここで言う「考える」とは、勉強ができるとかいう学習の面で考えるということではなく自分の決定について考えたり相手が考えていることを考えたりすることです。

その要因として、観察してきた中で大きく分けて3つあるのではないかと思いました。

1 予定があまりにも忙しすぎて、考える時間がない

2 親が先回りしすぎて、考えるすきを与えないor子ども本人の考えが全く採用されない

3 親が子どもを甘やかしすぎて、世界が常に自分中心になってしまい、他者に対する思いやりを抱く機会が与えられてこなかった

これでは毒親攻撃のように思えますが、どのような環境で育ったとしても、やはりそこは本人の意思決定によるところが大きいので、このような環境で育ったから必ずこうなる、と言いたいのではありません。

でも、なぜ目の前にいる人が「気が利かないのか」理由が少しでも分かると、少しこちらも余裕を持って相手と接することができたり、「感情の落としどころ」みたいなものをつけやすいのではないかと思うのです。

勉強ができて、知識量が多くてもできないこと

上記の要因3つがもたらす結果について考えた時に、3つの要素に関係しているのが、

自分で自分のスケジュールを管理することができない。よって、自分が相手に譲歩したり、相手を考慮に入れて物事を考えることができない。(もしくは考える機会を奪われた、とも言えるかもしれません)自分のキャパやどこまでのことができるか、みたいな見通しも立ちにくいのではないかと思います。

そして、ある意味でやってもらって当たり前の状況が、他者に対する感謝の気持ちや、思いやり、配慮が欠けてしまう状態を作り出してしまうのではないかと感じさせられます。

もちろん、勉強ができて学力レベルが高くて、しかも人格者として優れている方はいらっしゃいます。それでも、本当に気をつけていないと、自分は勉強ができる・成績が良いということに慢心してしまって、いわゆる「頭が良くても仕事ができない人」さらには「使えない人」になってしまいます。

バランスを保つのは難しい、気をつけていこうと思う今日この頃です。(*´ω`*)