ご当地のものを食べたい心境について考えてみた
再び仕事中、とある学校の過去問の英語対話文を読んでいた時です。私たちの今の生活にも通じるちょっと興味深い気づきがありました(´▽`)
その対話文の内容は、ざっくりまとめると以下のようなものでした。↓
〈留学先のホストファミリーと日本人留学生との間の会話〉
(場面)アメリカに留学に行っているある日本人の学生。ホストファミリーが色々なところに外食に連れて行ってくれる。その日連れて行ってくれたのは美味しいギリシャ料理屋さん。
日本人留学生は躊躇しながらも、アメリカに来ているのだから本場アメリカ料理を食べたい、と本音を漏らす。
でも、ホストファミリーは、先週ピザを食べに行ったじゃない、と言う。
留学生:「ピザはアメリカンではなく、イタリアンです」
(;´Д`)
それにホストファミリー:「昨日マクドナルド行ったでしょ。これこそ典型的なアメリカンフードじゃない」
留学生:「ファストフードはご当地にはカウントされない」
(;´Д`)(;´Д`)
ホストファミリー:「えっ、それやったらケバブもミートボールもスパゲッティもアウトやないか」
留学生:「トルコ料理、そしてまたイタリアンっすね」
・・・(;´Д`)(;´Д`)(;´Д`) 汗。汗。
ホストファミリー:「ハンバーガーとホットドッグとステーキ以外って言われたらもう、どこ連れてったらいいか分からんわ」
ごもっとも(;´・ω・)
双方の認識のずれから生まれている会話ですが、両方の言い分に共感するだけに、ちょっと背中の裏がかゆくなるような、もどかしい気持ちになりますね。
そして、この、
「その土地ならではのものを食べたい」
「ご当地のものを食べたい」
ということに関して、我々は昨今、今まで以上に敏感になっているように思うのです。
物産展やご当地フェア
これまでも、スーパーや百貨店で、駅の改札付近の期間限定のお店で、○○フェアなるものは定期的に開催されていたことと思います。
それでも。
以前に増して賑わいや活気があるように感じるのは私だけでしょうか。
イベント会場ならまだしも、スーパーの、○○フェアというがそこまで飛ぶように大盛況というイメージがなかったのですが、最近では物によっては早々に売り切れ、なんていうのも見かけました。
そんなにお得感がある、とか安いものではなくても売れていることに不思議な気持ちになったと同時に、そんなに普段気にも留めていなかった○○フェアに足を止めている自分に、はっとさせられてもみたり。。。
色々なキャンペーンが打ち出され、少しずつ人々が外に出かけたり、旅行に行ったりしていたとしても、やはりまだ自由に旅行に行けない、お出かけしづらい空気感が色濃くあるんだなぁ、と実感させられた瞬間です。
求めているのは「非日常と」と「特別感」
英語対話文の留学生活での話と、今の我々の生活。
一見現実とかけ離れ過ぎていて、全然関係ない話のように思いますが、両方の話に共通していること。それは、
その時にしか味わえない「非日常」と「特別感」という体験です。
たとえ、リアルに旅行に行っていなくても(あるいは行けないとしても)、特別感を味わいたい、というその気持ちは今、多くの人の胸の内にある思いなのではないかと思います。
もしくは、特産品をお取り寄せでも食べることで、少しでも生産者を応援したい、という気持ちがあるのかもしれませんね。
そこには、人とのつながりを大切にしたいという気持ちもあるものと思います。
ディスタンスが求められる昨今、意識していないと物理的なディスタンスだけでなく、心が人と離れてしまい、孤立してしまう、ということは容易に起りえます。
味わえる非日常も、特別感も、それが大小どんな形を取るものであれ、色々な人の関わりのもと成り立っているということを忘れないようにしたいものです。(*´ω`*)
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