忙しすぎる子どもたち―習い事について

忙しすぎる子どもたち―習い事について

何才くらいから習い事をさせるべきか?

何を習わせるべきか?

何個くらいが妥当なのか?

特に子どもが乳幼児から小学生の場合、そして教育熱心な保護者であればあるほど、悩んでしまう分野だと思います。

私自身は、サマースクールなど短いものも含めると、比較的色々な習い事をさせてもらったかなぁ、とは感じています。そして普段仕事で子どもたちと接している中で、習い事の選び方や、やめ時など… 感じたことを今回はまとめてみました(*´ω`*)

習い事―自分自身の場合

私個人のお話になりますが、経験した習い事としては小学生の頃を考えると…

①ピアノ、②エレクトーン、③ジャズダンス、④タップダンス、⑤クラシックバレエ、⑥フルート、⑦塾、、、

主なものはざっとこんな感じで、幼稚園の頃は授業の一環として外国人の先生が常駐していて英会話を学んだり、硬筆を学んだりと勉強要素強めな幼稚園に通っていました。

また、以前にもお話しましたが、小学生の頃はアメリカにいたので、サマースクールやサマーキャンプなるものもありました。

何せ夏休みが2か月半もあるものですから (笑)

しかも日本の学校のように夏休みの宿題というものはありません。9月に新学年になるので、学年の変わり目にもなるわけですし…

サマースクールについて

あまり日本ではなじみがないですが、あえて言い換えるとすると「集中講座」って感じでしょうか?

全10回とかで色々な講座に申し込んで体験する、という感じです。

逆にサマーキャンプで泊りで1週間行きっぱなし、みたいなのもありました。

今から思うとキャンプもトライしてみても良かったのでは、と思いますが、私自身、かなりインドア派だったのと実際に行った友達から、毎日食事がホットドック(しかも具が本当にソーセージだけ)で死にそうになった、という話を聞いてキャンプは申し込みたくないと思ってしまいました (;^_^A

なので、サマーキャンプ事情はあまり分からないのですが、サマースクールで体験したことを思い出してみると・・・

湖にあるウォータースライダーでひたすら自由に遊ぶ

Tシャツを染める・色を塗る・オリジナルの絵を描く(夏の終わりには手作りTシャツが山のように出来上がる)

壺を作る

スイミング(コーチみたいな人がいて、クロールや背泳ぎをひたすらする)

料理

工作

ダンス

創作の劇を子どもたちだけで作る

といったところでしょうか。若干のカオス感のあるものもありますが 苦笑。

まとまると体力づくり、そしてクリエイティブな感性を養う、といったところでしょうか。

私が小学生の頃は、サマースクールの一覧をまとめた冊子のようなものが配られて、それを見て選ぶ、といった感じでした。

何か知識・技術を身につける、というよりは、こうした活動を一つのきっかけにして、自分の適性や興味関心を見極めたり、何かを真剣に学ぶきっかけという役割を担っていたと思います。

習い事に対する熱量

子供の年齢が幼かったとしても、子ども本人の意思、そして本人が納得して始めるというのは大事なことだと思います。

もちろん、習い事にかかる費用を負担するのは保護者であって子どもではありませんが、たいていの場合比較的幼くても、やりたい・やりたくないの意思表示はできます。

親は子どもの可能性を引き出さなくては、とか道しるべを示さなくては、と気負うケースや、「自分が幼い時に習いたかったけど、できなかった習い事」という自分の願望・願い系を子どもに託す場合がありますが、そうしたケースで習い事を始める、そして続ける場合、親が見落としがちな弊害を招く恐れもあります。

全てのケースにおいて確実にそうだとか、物事を断定するつもりで話すつもりはなく、あくまでも一つの可能性として話しているのですが、親が子どもの道を先回りしすぎることによって、かえって別の面で子どもの成長を阻むことになるかもしれません。

子どもと親の願いが一致していてうまくいっているというのもあるとは思います。それでも熱量や習い事に向かう姿勢に関して

親の熱量>子どもの熱量

になってしまった時に、子どもは何のために頑張っているのか、目的意識を失ってしまうことは少なからずあると思います。ある程度までは親のために頑張れても、そう長くは続かないはずです。そして、習い事をしているのに、上達しないなんてこともおきます。

私も仕事で、塾講師をしていた時に、子どもが確かに家を出ているのに塾に来ていない。家庭教師をしていた時に、家に行ったのに子どもが一向に帰ってこない。(´;ω;`) なんて困ったことも複数回あります。

勉強に関しては、簡単に「嫌だったらやめたら?」とは言えない分野ではありますが、こうした子どもたちというのは、親の期待やプレッシャーに耐えられなくなったためにこうした行動に出た、というのも一因としてあります。

肩を抜いて考えてみる

大きくかまえることや、頑張り過ぎない、というのも時として大切かもしれません。

習い事の多くは、成長の過程の1つの経験であって、必ずしもその道のプロフェッショナルになる必要はありません

そしてプロフェッショナルにならなくても、後の人生においてプラスになる場合もあります。

逆に嫌々、惰性で続けてしまうとその時間そのものが無駄になってしまうかもしれません。続けていたら何か形になるかとか、やめ癖がついてしまうといった可能性ももちろん否定はできませんが、嫌々続けて身につくものなんてしれてますし、親に対する不信感という別の問題に発展してしまうかもしれません。

まぁ、どんな経験もプラスにできるかどうかは本人の見方しだい、ということはありますが。(*´ω`*)

少し身も蓋もない話になってしまいましたね。(;´・ω・) でも、習い事というのは、単に技術を身につけるだけでなく、感性を育む場でもあります。そして義務教育・必須科目というわけではないので、自発的に行うものであるべきです。なので、本人が自分で予定を管理できるのであれば、何個にすべきという必要な個数はないと思います。習い事なので、経済状況も大きく関係してくる分野ではあると思います。習い事をしているから良いとか、していないから悪いということではなく、習い事が果たすべき役割について、今回は考えてみました(´▽`*)