母親らしいコーディネートとは

母親らしいコーディネートとは

芸能人、特にいわゆるママタレとして活動している方たちがブログやインスタなどでアップしている画像をめぐって、よくこのようなテーマで論議がなされているように思います。

母親らしい格好をしなさい、という話です。

そうしたコメントに対して、母親はおしゃれをしてはいけないのか、自分の好きなファッションをしてはいけないのか、というような応戦も見られます。

双方の言い分は理解できます。そして、母親に限らず、○○らしいコーデを求められることは、社会生活を営んでいる以上、誰にでもあると思います。

それで今回は「○○らしいコーデ」について考えてみました。(*^^)v

ステレオタイプと年相応の恰好は違う

いわゆる○○らしい、と言われた時に、言われた側が少し不快に感じたり、強い反応を返したりしてしまうのは、ふさわしい恰好をする、というよりも、自分のこうでなければならない、という固定概念、すなわちステレオタイプ的な考え方を押し付けられているからだと感じるからでしょう。

確かに、母親らしいコーデとは?と聞かれたら・・・

落ち着いた優しい色の服、ロングスカート、エプロン姿、もしかしたら髪型は短い、強めのパーマ・・・

私だったらそう答えてしまうと思います (;^_^A

色んな昔のアニメの影響を受けていることは否定できませんが。

それこそステレオタイプです。そして、このコーデは、例えば、子どもの学校の参観日や運動会などの行事ごとに参加する時など、場面によっても大きく変わることが分かります。

○○らしいコーデの、発言の裏側には、年相応の恰好、そしてTPOに合ったコーデをすべき、という主張でしょう。

おしゃれを否定するわけではないですが、年相応、TPO、という分野に関しては、ただ自分の好みの問題で片付けられない部分があるのではと感じます。

相手を不快にさせないファッション

ファッションは自己表現の一種だ、という見方もありますが、仮にファッションをそのように見た場合、年相応しくない若作りのファッション、露出の多い服、TPOに合っていないファッションは、

「私は自分のことしか考えていません。」

というメッセージを発信していることにはならないでしょうか。さらには、

「あなたが不快に思おうと私には関係ありません。」

というメッセージにも受け取られかねません。

自ら、自分は自己中で、周りに対して配慮や思いやりを示すつもりはあません、と伝えてしまっていることになってしまいます。そんな人と一緒にいたいと思うでしょうか。

私は、ファッションそのものを否定するつもりはありません。ただ時と場合によっては、そして年齢によっては、その場にいる人を不快にさせてしまうようなケースもある、ということです。

おしゃれをしつつ若作りしない

私は、いくつになってもおしゃれを楽しむことは大切だと思います。そして年は誰しもとっていくものなので、無理に若作りしなくてもいいのではと思います。

白髪染めをあえてしない、いわゆるグレーヘアが流行っているのも、不自然なものに対する人々の違和感や拒絶感みたいなものがあるからだと思います。

はじけるような若さや透き通るようなきれいな肌は確かに羨ましい限りですが、芸能人なんかでも長く活躍されている方だと、きれいだ、という意見と共に、確実に(整形)やってるよね?ということも話題に上ります。

このこともやはり不自然なものに対して敏感に人々が反応しているからだと感じます。

自分の年齢に応じて、若かった自分にしがみつかず、その時自分に似合う服を探したり、品の良さを失わないことは、おしゃれを楽しむことにおいて大切なことではないかと思います(*´ω`*)