「名が売れる」とは?-変わってきた認識
ティックトック、インスタ、ユーチューブ・・・
露出の媒体がもはやテレビ番組が主流になってきた現代、
芸能人のみならず、一般の方でも簡単に「自分」というものを、不特定多数の人に発信することが可能になりました(*´ω`*)
しかも顔出しで。
気軽に動画を投稿できる今、
「名声を得る」
「人生の成功を得る」
「勝ち組になる」
つまりは、「自分の名が売れる」ことに関して、一昔前に比べて、変わってきたなぁ、と思う認識の違いを今回は考えていきたいと思います。
プライベートを露出する人と匿名性
気軽に動画を投稿できるようになったことから、より、その人のプライベートな部分、趣味嗜好やライフスタイルなどが見えるようになったような気がします。
実際、見ず知らずの人の子どもの成長を、身内のように感じたり、まるで友達のように感じたり、かなり距離感が近い感覚があります。
モーニング・ルーティン系動画が流行っているのも、距離感の近さ、プライベートをどこまで露出するのか、ということを見る側が求めている、ということなのかな、と思います。
昔のアイドルの、雲の上の存在とか、ミステリアスな部分があって良い、という時代は終わってしまったのでしょうね。少し前、「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーも流行りましたが、プライベートの露出や親近感に関して、動画をアップする側と見る側には多少の認識の違いというか、ズレも感じたりします。
それが、私の個人的な体感なので、一概には言えないと思いますが、昔に比べて本名で活動している人が少なくなっているのではないか、ということです。
本名でも、名字だけとか名前だけとか。漢字表記をひらがな表記やカタカナ表記に変えたりとか。ローマ字だったりとか。
分かりやすい名声の象徴として、自分の名前がバーンと大きな広告で街であふれることにあこがれを抱いたり、みんなに名前を叫ばれてキャーキャー言われることを目標にしたり、ということを夢見ている人は案外少ないのではないか、ということです。
ある意味、自分の名が売れることに対して、紛れもない自分自身が、1番冷ややかというか、冷静というか、客観的なのかもしれません。
自分はあくまでも数ある商品の1つ
見る側は距離感の近さやプライベート部分を知ることを求めていたとしても、届ける側は、あくまでも露出されている部分は「自分という商品を提供しているだけ」という感覚があるのかもしれません。
そして、実際に名が売れる人々や、長く人気が持続している人ほどそうした自分を客観視している人が多いのではと思います。
全部、本当の自分を、誤解なく、100%提供しようと思う人ほど疲れてしまいます。(*´ω`*)
自分という個人の人間とは違う、自分で作り出したキャラクターだと思えるからこそ、いちいちアンチの意見に振り回されたり、自分個人に対する評価とか自分の人格が否定されていると感じて過度に落ち込まず、前に進めるんでしょうね。
テレビを見ている時は、ある程度これは演出だな、と思ったり、出演者のプライベートな部分が見たいなんて思わないのに、他の媒体になったとたんにリアルさを求めたり感じたりしてしまう。不思議なものだなぁと思います。
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